奈良発靴ジャーナル

2022/03/29
奈良の墨づくり
奈良の墨づくり
奈良の墨づくり

新しい奈良の革靴、KOTOKAの新たな限定生産品は「奈良墨染和牛革」のシリーズです。その名の通り、この限定生産プロジェクトのために特別につくった、奈良の墨で染めた革を素材に使ったライン。奈良らしい革靴のあり方を求めて生まれたKOTOKAであればこその試みです。

 

 

そのアイディアの源は、奈良が墨の名産地であることです。日本の古都である奈良には長い歴史を持つ名産品が少なくありませんが、墨もそのひとつなのです。特に墨の場合、日本の生産量の9割ほどが奈良。現在国内の墨生産者は9件ほどありますが、その中の8件が奈良県内にあり、産地としての奈良の重要性は際立っています。墨づくりは奈良が継承する伝統なのです。

 

KOTOKAのために墨染めの革をつくるに当たり、そうした奈良の墨工房のひとつ「錦光園」の七代目墨匠、長野睦氏にお力添えをいただきました。長野氏は、染料の元となる墨液のための「練り墨」を快く分けてくださり、工房やそこでの作業を見せてくださいました。

 

今回はしばし靴から離れて、長野氏に教えていただいた奈良に伝わる墨づくりをご紹介したいと思います。

 

 

墨は煤(すす)からつくられます。多くは菜種油の煤である油煙がその原料となります。中には、松脂を多く含む松の木を燃やして取れた貴重な煤、松煙からつくられ、独特のにじみと青みを帯びた深い黒となる墨もあります。

 

どちらの煤も墨にする最初の工程は、膠(にかわ)と合わせて練ること。革からつくられる膠は、コラーゲンまたはゼラチンでもあり、墨と同じく古くから、木を貼り合わせるための接着剤などとして広く使われてきたものです。日本画の絵の具にも不可欠なもの。文字や絵画が長年紙の上で消えることなく残るのは、膠が色の粒子を定着させてくれるから。古の知恵や文化芸術が今に残されているのは、この膠のおかげでもあります。

 

 

煤と混ぜ合わせるために、銅の深い鍋「湯婆・たんぽ」で、乾燥した固形で保管される膠を湯煎して水に溶かします。次が煤を加えて練る工程です。ローラーにかけ、足で踏み、手で揉み、しっかいりと練り合わせ、生墨(練り墨)をつくります。

 

 

長野氏が手で生墨を練る様子はまさに職人技。無心で体に覚え込ませた動作を、素早く無駄のない動きで繰り返します。蕎麦打ち職人も、陶芸家も、同じだと思いますが、一所懸命とは本来、こういう様を意味する言葉であることを改めて感じます。

 

 

一通り練って生墨が仕上がると、木型に生墨を押し込みます。木型に合わせて定められた分量を測って、梨の木でつくられた木型にしっかり押し込みます。

 

 

木型には様々なものがあります。伝統的な長方形の墨だけでも大きさ、絵柄に多くのバリエーションがあるのは当然ですが、錦光園では、伝統的な和菓子の型を使った墨、飛鳥時代に日本に伝わった仮面劇「伎楽」の面を象った香り墨、おはじきのような可愛らしい飾り墨、手で握って形をつくる握り墨、など、墨の新しいあり方を意欲的に提案しているのです。

 

生活の多くの部分がIT化され、筆どころかペンさえも持つことが少ない時代に、どのような存在意義を墨に与えるか。長野氏が心血を注いで墨づくりの伝統を守ろうとしている様子は、中国故事に由来する言葉「墨守(ぼくしゅ)」つまり、伝統を守るための決して譲れない覚悟を感じさせます。

 

 

生墨がしっかりと型付けられると、墨の形になりますが、実はこれから先が長いのです。ゆっくりと自然に乾燥させる工程です。

 

 

乾燥は大きく分けて二段階。まずは、木の灰に墨の湿気を吸い取らせるものです。灰は、少なくとも先先代の時から(ひょっとするとそのずっと前から)あるというクヌギの木の灰。最初はやや湿気を含んだ灰の中で、そして次に乾燥した灰の中に移して、ゆっくりと墨の中の水分を抜いていきます。

 

 

木灰での乾燥は、小さな墨では1週間、大きなものでは3〜5週間かけるとのこと。それが終わると、網棚で自然乾燥させます。これには3ヶ月から6ヶ月、ものによっては乾燥度合いの偏りで反りが出ないように時々上下をひっくり返しながら、乾燥させるそうです。

 

訪問した時に、この自然乾燥の棚にあったのは「伎楽面」の墨。興福寺などにある仏像にも共通する表情の面です。長野氏の発想の豊かさには驚かされますが、地元、奈良への思いもひとしおのようです。

 

 

乾燥が終わった後も、墨が製品として完成するには、蛤の貝殻を使った磨きや、金文字や朱を入れる色入れなど、いくつもの工程があります。

 

墨は小さな黒い塊。そこにこれだけの工程と手間がかかっていることを知ると、誰もがもれなく驚くことでしょう。先人の知恵の深さもさることながら、この時代にも、手作業の伝統を守って、この仕事を続けてくれている方々の有り難さを感じないわけにはいきません。

 

 

余談ですが、墨づくりの工程を教えていただきながら、革から取れる膠がその要であること、靴と同様「木型」が欠かせないこと、革づくりにも似たゆっくりと乾燥させることの大切さなど、多くの自然由来のものを加工する上での共通点があるようで、奈良という共通点意外にも、一方的に親近感を感じてしまいました。

 

同時に、社会の変化とともに縮小する市場で、現代の生活者にとっての新たな墨の価値を果敢に模索する長野氏の姿勢には、感銘と刺激を受けずにはいられませんでした。

 

長野氏は、様々な用途の墨の開発以外にも、学生や観光客を対象とした墨づくり体験や講演なども実に積極的に実施されています。そうした様子は、ホームページやインスタグラムでも発信されており、どちらも見応えあるものとなっています。それらのリンクを下に記してありますので、ぜひご覧になってください。

 

 

 

錦光園

〒630-8244 奈良県奈良市三条町547

TEL: 0742-22-3319(電話受付時間 9:00-21:00)

ウェブサイト          https://kinkoen.jp/

インスタグラム       https://www.instagram.com/kinkoenjp/

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